鉄道の父
井上勝

 生涯を鉄道に傾け続けた山口県出身の男「井上勝」。
東京駅丸の内口では、彼の銅像が今も鉄道を見守り続けています。

吾が生涯は
鉄道を以って始まり、
すでに鉄道を以って
老いたり、
まさに鉄道を以って
死すべきのみ

 井上勝は、長州藩士・井上勝行の三男として萩に誕生した。井上家は、1863年の藩庁の移転に伴い、山口市小鯖に移転。この年20歳の勝は、初代内閣総理大臣となった伊藤博文らとともに密かにイギリスに渡った。帰国後、近代国家の礎を創ったこの5人の男たちは「長州ファイブ」とも呼ばれる。
 イギリスでは、大学に通う傍ら、駅や鉄道を視察し、一度に多くの人や貨物を運べる鉄道の必要性を痛感した。1868年に帰国し、1872年には、日本初の鉄道「新橋~横浜間」を工事責任者として開通させた。その後、鉄道局長となり、「京都~大津間」は、初めて日本人だけの手で完成させた。
 鉄道庁長官として東北線を敷設する際、広大な荒地を農場に変えようと念願し、岩手県の「小岩井農場」が誕生した。小岩井の「井」は井上勝の頭文字の「井」である。
 1910年、欧州鉄道視察中に病に倒れ、若き日に過ごしたロンドンで息をひきとる。享年68歳。
 鉄道を愛し、鉄道に懸けた井上勝。彼の“思い”は、山口線を走るSLにも託されているに違いない。

鉄道の父
 井上勝の生涯
(1843〜1910)